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内戦状態にともなう経済活動の停滞によって

1970年代に入ると、内戦状態にともなう経済活動の停滞によって国内の疲弊はピークに達し、それに合わせるかのように騒乱は次第に沈静化して行った。

そのような状況下で、1971年には従来台湾の中華民国政府が保有していた国際連合における中国代表権を奪取(国際連合総会決議2758)、翌1972年にはアメリカのリチャード・ニクソン大統領が訪中し毛沢東と会談を行ったほか、日本の田中角栄首相も中国を訪問、第二次世界大戦以来の戦争状態に終止符が打たれて日本との間で国交が樹立されるなど、文革中の鎖国とも言えるような状況も次第に緩和されていった。

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その後1976年には、文革派と実権派のあいだにあって両者を調停してきた周恩来、この混乱の首謀者であった毛沢東が相次いで死去、新しく首相となった華国鋒は、葉剣英、李先念、汪東興等の後押しを受け同年10月四人組を逮捕した。

翌1977年7月失脚していた鄧小平が復活し、同年8月、中国共産党は、1966年以来11年にわたった文革の終結を宣言した。(ただし、左派勢力に配慮し「第一次文化大革命を勝利のうちに終結した」と表現し、「第二次文化大革命」が将来ありうるような表現とした。)1981年には四人組と林彪グループに対し、執行猶予付きの死刑から懲役刑の判決が下された。

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2009年06月30日 00:34に投稿されたエントリーのページです。

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